大判例

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盛岡地方裁判所 昭和39年(わ)137号 判決

被告人 工藤テイ

大五・二・二一生 岩手町議会議員

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

本件公訴事実は、

「被告人は、昭和三九年七月四日施行の岩手町議会議員選挙に際し立候補することを決意したが、いまだ立候補届出前の同年六月一九日頃より同月二六日頃までの間、別紙一覧表(略)記載のごとく一四回にわたり岩手郡岩手町内において、田中和一郎外一三名に対し、被告人の氏名、写真、経歴、信条を掲載した法定外選挙運動文書である、「予定候補工藤テイ」の経歴書二九枚を交付して頒布したものである。」

というのである。

(公訴事実の存否、および犯罪の成否についての判断)

第一、証拠調の結果によると、被告人は昭和三九年六月二七日告示、七月四日施行の岩手町議会議員選挙に際し、岩手銀行従業員組合沼宮内分会の推せんと、岩手町地区労働組合協議会(以下地区労と略称する)の支持、および新日本婦人の会岩手町支部の支援を背景に、革新系無所属として立候補して当選したこと、右選挙に関連して被告人は、公訴事実摘示の日時場所で(ただし瀬川金蔵に対する交付日時は六月二五日頃、池田貞七に対する交付場所は岩手町岩手工事事務所沼宮内国道出張所と認める)その摘示のとおり、田中和一郎外一三名に対し、その摘示の枚数の被告人の経歴書(被告人の写真、氏名、経歴、信条が掲載されている)を配布していること(但し配布枚数は佐々木啓祐に対しては一枚、広瀬時夫、深沢正に対しては各二、三枚位と認める)が認められる。

第二、そこでまず右被告人の経歴書が公職選挙法一四二条にいう、選挙運動のために使用する文書にあたるかについて検討する。同条にいう選挙運動のために使用する文書とは、文書の外形内容自体からみて選挙運動のために使用すると推知されうる文書でなければならないのであるが(昭和三六年三月一七日最高裁第二小法廷判決、刑集一五巻三号五二七頁)、本件経歴書には被告人の写真が掲載され、「予定候補工藤テイ」との記載があり、さらに被告人の経歴、信条が記載してあつて「私の信条」中には「核戦争の危機から婦人と子供の生命を守ります」以下、「最も下積みの人びとの要求を町政に反映させ、行政民主化のためにたたかいます」まで、六項目の信条が書かれてあり(昭和四〇年押第一〇号の五、六等)、前記のように岩手町町議選挙の告示の数日ないし直前に配布された時点において右経歴書を一読すれば、被告人が右選挙の予定候補であつて、議員に当選のあかつきは「私の信条」に記載されている六項目の事項の実現に努力するという趣旨であることが明らかであり、右経歴書はその外形内容からみて、公職選挙法一四二条一項にいう「選挙運動のために使用」すると推知されうる文書であると認められる。

第三、(一)  ところで、右認定のように、右経歴書が外形上選挙運動のために使用する文書であると認められるとしても、公職選挙法一四二条一項は、かような文書を選挙運動(特定の選挙につき、特定の議員候補者を当選させるため、投票を得または得しめるにつき、直接または間接に有利な諸般の行為をなすこと)として頒布することを禁止したものであり、選挙運動の準備行為または立候補の準備行為(この概念は、必ずしも明確な基準を見出し難いのであるが、ある特定の選挙に先立つてその選挙の告示前に、立候補予定者が自分を支持すると思われる政党、職能団体、労働組合等の団体に対し、自分を当該選挙において推せんまたは支持してほしい旨の申し入れをし、これに伴うある程度の働きかけを行なうことは広く一般に行なわれており、この推せんないし支持を求める行為は、候補者とその支持者との内部的行為であり、これに投票依頼等明らかに選挙運動と認められる行為が伴なわないかぎり、選挙運動の準備行為として認容されるべきものと解する)として頒布することまで禁止したものではないと解すべきである(昭和四四年三月一八日最高裁判所第三小法廷判決、刑集二三巻三号一七九頁参照)。

そこで以下被告人の経歴書配布行為が、果して検察官主張のように選挙運動に該当するものであるか、あるいは、被告人および弁護人主張のように選挙運動の準備行為と認めるべきであるかについて検討を加えてみる。

(二) 関係各証拠(略)によれば次のような事実が認められる。

岩手町地区に支部、分会を有する各種労働組合(単位労組、略して単組という)の協議会である岩手地区労は、従来政治活動の一環として、各種選挙に際し、地区労としての推せん候補、または支持候補の決定を行なつて来ていたが、被告人も本件岩手町議選挙を控え、知人の岩手銀行支店単組幹部を介し、地区労に推せん候補の決定を得られるよう申し入れをしていたところ、昭和三九年六月一二日に地区労の単組代表者会議があり、右選挙の推せん候補、支持候補の決定の討議が行なわれ、その際被告人の経歴書が資料として要求されたので、被告人は本件経歴書の写真を除く同一の文案の原稿を作成してこれを地区労に届けた。そして地区労の右会議において、右経歴書を資料として討議した結果、被告人を推せん候補とすることはできないが、支持候補として取り扱う旨の決定がなされた。その頃被告人は、右原稿と同文のものに自己の写真を加えた本件経歴書七〇〇枚の印刷を印刷屋に注文したが、それは地区労で支持決定を受けたけれども、地区労加盟各単組の人数もあるのに、経歴書を一枚しか持つて行かなかつたので、各単組で討論等のために多数が必要であろうと思つたからであつた。(地区労ないし加盟単組では従来、各単組の機関が推せんまたは支持候補を決定した後、これを持ち寄り地区労の代表者会議にかけて最終決定をしていたが、その際推せんや支持の決定の資料とするために本人の経歴書を提出させ、推せんや支持を決定したときは、余分に提出された経歴書を加盟各単組または下部組織での討議、判断の資料とするため、加盟各単組または下部組織にも配布するということが、慣行的に行なわれていた。)そして被告人は同年六月中旬頃、外で出会つた地区労の議長志田昭三から、「みんな支持御礼に歩くので、あなたも歩いたらいいだろう。」と助言されたので、これに従つて同月一九日頃から地区労加盟の各単組の事務所を逐次訪問し、支持御礼のあいさつ廻りをしたのであるが、その際前記印刷に廻した経歴書が出来上つていたので、自分が直接持参するのが礼儀だと思つて、一枚ないし三枚を「支持御礼」の書面と一緒に封筒に入れ、各単組の代表者またはその代理者に面会を求めて支持御礼のあいさつを述べ、右封筒をそのまま相手に手交して直ちに辞去するということを反覆して行なつた。一方右経歴書の配布をうけた各単組では、一部(岩手県医療局労働組合沼宮内病院支部)を除いてはほとんど討議の資料としては使われず、まつたく無視されて焼かれたり捨てられてしまつたものと、逆に何らの討議も経ずに、本件経歴書を組合員に向け掲示ないし回覧した組合(岩手教職員労組一方井小学校分会、同一方井中学校分会、同南山形小中学校分会、自治労岩手町職員組合)もあるが、これは当該配布の時期には選挙の告示も間近に迫つており、単位組合の多くは既に他の者を推せんすることを決めていたため、被告人の支持問題については、改めて討議する余地があまりなかつたという事情によるものである。

(三) 以上認定のうち、(イ)本件経歴書の配布行為が既に地区労の支持決定を受けた後であること(内部の推せん、支持は既に完了しているので、内部的働きかけの必要はない)、(ロ)各単組へ複数枚配布していることが多いし、(各単組の推せん、支持を求めるのならば一枚でもよいのに、回覧、掲示を予定して多数枚配布したとみられる)また経歴書は地区労から要求されたものであるから、地区労に提出すればよいのに、被告人が直接各単組に持参したのは討議資料の提出としては不自然である、(ハ)被告人は地区労からは外部の者である(地区労傘下の組合員でないから、内部における推せん、支持を求める行為とはいい難い)、(ニ)現実に各単組ではほとんど討議に使用されず(反対に選挙運動ともいいうる掲示、回覧がなされた)、(ホ)経歴書印刷の枚数は七〇〇枚と大量である(内部的推せん、支持を求める量にしては過多である)などの諸点を取り上げてみれば、本件経歴書の配布行為は、すでに内部的に推せん、支持を求める行為の程度をこえ、投票を得または得しめるための選挙運動ではないかとの疑いがあり準備行為に名を借りた選挙運動に当ると一応認定しうるかのようである。

(四) しかし、被告人に有利な観点から考えてみると、(イ)の点については、既に地区労の支持決定はあつても、前認定のように被告人は地区労の組織外の新人であり、このことから地区労傘下の単組への知名度も低いため、各単組にも自己の経歴、信条を知つてもらう必要性が高かつたと推認され、地区労の支持決定時、各単組への討議資料として相当枚数配布すればよかつたのに、準備不足であつたため、あとからこれを追完したと見ることもでき、(ロ)の点については、前記追完の見かたに加えて、一組合あたり三枚どまりという枚数は、組合内部における討議資料として、必ずしも多過ぎるとは思われず、地区労に届けず自分で各単組に持参したことも、支持御礼のあいさつ廻りという機会があつたため、そのついでに配布することは最も手取り早い方法であり、被告人がその方法をとつたことはあながち不自然とも思われないのである。また、(ハ)の点については、組織外の者であつても、既に地区労の支持決定を受けた被告人と、地区労加盟の各単組との関係は、立候補予定者とその支持者のグループとの内部関係に準じて考えることが可能であり、(ニ)の点については、現実に討議資料としてはほとんど使用されなかつたのは、前記のような当時の各単組内部の事情によるもので、被告人は組織外の人間であるし、さような内部情勢にうとかつたことが窺われるし、回覧、掲示されたものについても、被告人がこれを指示、または希望したとかの事実は認められず、むしろ予想外のことではなかつたかとも思われる。(ホ)の点については、なるほど七〇〇枚という枚数は多過ぎるようであるが、本件で問題とされる三〇枚足らずの外の分は処置不明のままであり、後記のように本件各事実はいずれも地区労加盟単組への配布であつて、それ以外への配布は認められないことからすると、注文枚数が多数であるからといつて、本件配布が対組合用討議資料の配布であると見ることを妨げるものではない。

以上のように解釈することもできるのであつて、かれこれ対比してみると、前記(三)にあげた選挙運動行為のように見える各要素も、必ずしも全面的に首肯できるというものではない。

(五)  そのうえ、本件経歴書の配布行為は、当該選挙の告示前になされたもので、その配布先は地区労加盟の労働組合に限られていて、その他の団体もしくは個人には配布されていないこと、訪問先では必ず組合の代表者(もしくはその代理人)を呼び出し、地区労の支持に対する謝辞を述べ、封筒入りの支持御礼の文書と本件経歴書を交付しているだけで、その際投票依頼はもとより、封筒の中にはいつているものの説明すらしていないことが認められるのであつて、以上の被告人に有利な諸観点からすると、右行為は選挙に通常必要な準備的行為、すなわち候補予定者とその支持者らとの内部における関係を出ない準備行為にあたると解する余地も相当に存すると認められる。

(六) 結局以上を併せ考えれば、本件被告人の行為をもつて選挙運動の準備行為と認めるべきであるとの、被告人および弁護人の主張は排斥することはできず、これを選挙運動であると認めるには、いまだ十分な心証が得られないのである。したがつて、「選挙運動として頒布した」ことが認められないのであるから、被告人に対しては、法定外文書を頒布した容疑と、同時にそれが事前運動になるとの容疑につき、全部無罪を言い渡さなければならない。

(公訴権濫用による公訴棄却の主張に対する判断)

弁護人は、次のような理由により、本件公訴は棄却されるべきであると主張している。まず捜査における不当性として、被告人は選挙運動期間中、警察から次のような様々な妨害を受けていた。すなわち、警察は投票前日に被告人の選挙宣伝車に私服三名を配置し、一分でも運動時間を過ぎればこれを取締ろうとあみを張つて待機したり、また被告人が選挙運動をして歩いた地区を全般にわたつて調査を行ない、「工藤はアカだから、何としても罪にしてやる」などと不当な言辞を弄したりした。さらに被告人の取調べに当つた警察官、検察官の態度にも、被告人への敵意を示す数々の言動があつた。しかも問題の岩手町議選挙においては、他に買収、饗応等の重大な選挙違反が行なわれていたのに、捜査当局はこれらの事件を起訴していない。このように重要な選挙違反に対しては目をつぶり、工藤被告人に対してのみ、右のようにいやがらせ的な取締りや捜査を行なつたということは、被告人が革新系の候補者であり、しかも中国からの引揚げ者であつて進歩的な思想の持ち主であつたからにほかならない。

したがつて、このような政治的意図に基づく不当な捜査および起訴は、公訴権の濫用である。次に、本件起訴自体の不当性として、被告人の本件経歴書配布行為は地区労の支持決定についての、選挙の準備活動であつて選挙運動には該当せず、従来から一般的に行なわれている選挙準備行為でしかないのである。このように、従来から行なわれていた行為を犯罪として起訴するということは、起訴に名を借りた革新派、進歩派に対する弾圧にほかならない。したがつて、以上のような政治的弾圧の意図に基づく本件起訴は、明らかに公訴権を濫用してなされたものであるから、刑事訴訟法三三八条四号により公訴棄却の判決がなされるべきであると。

当裁判所はこれに対し次のように判断する。警察官が捜査段階であれこれしたということはさておき、検察官は起訴するに足りる犯罪の嫌疑があり、起訴するに値する処罰の必要性があると思料される場合には、原則としてこれを起訴するのがその職責上当然であり、起訴自体が公訴権の濫用であるということは、客観的に見て犯罪の嫌疑が極めてうすく、とうてい有罪判決を得る見込みがない場合とか、誰が見ても起訴を猶予すべき情状があることが明らかであるなど、処罰の必要性が極めて乏しい場合にかぎり、例外的に認められることがあるに過ぎないと解する。しかるに本件についてみると、本件は当裁判所において慎重な証拠調を経たうえ、前記のとおりかなり詳細な法律判断を加えた結果、初めて犯罪の成立が否定された極めて微妙な事案であつて、犯罪の嫌疑は十分に存在したということができ、もし仮に被告人の本件行為が罪となると認定された場合は、一地方の町会議員選挙における事前運動としてはその文書の内容、頒布範囲、頒布枚数等からみて、決して違法性が軽微であつて処罰の必要性に乏しいとは認められないのであり、さらに被告人が捜査段階で事実を黙秘し、捜査官としては被告人に有利な事実や情状等を知ることも困難であつたという事情をも併せ斟酌すると、検察官が本件公訴を提起したことは、検察官としてのいわば常識的な事件処理としてこれを容認することができ、その他本件公訴の提起が公訴権濫用として無効となるべきほどの事由は認められないから、結局本件につき公訴棄却を求める弁護人の主張はこれを採ることができない。

(結論)

以上によれば、弁護人の公訴権濫用による公訴棄却の主張は理由がないけれども、前記認定のとおり、被告人の本件行為はこれを選挙運動と認めるには、いまだ十分な心証が得られないから、本件公訴事実はその犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(別紙略)

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